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2001年 2月 乾 杯 かたい絆に 想いを寄せて 語り尽くせぬ 青春の日々 あれからどれくらい たったのだろう 沈む夕日を いくつ数えたろう 乾杯! 今 君は人生の 大きな 大きな舞台に立ち キャンドルライトの 中の二人を 今こうして 目を細めてる 明日の光を 体に浴びて 振り返らずに そのまま行けばよい 乾杯! 今 君は人生の 大きな 大きな舞台に立ち 長淵 剛 曲・詞 Talk'n'Music を書くのは実に久し振りである。いえ書かないで大変失礼いたしました。書きたいと思うことはいくつもあったけれど、文章を書くというのはエネルギーが要ることである。昨年は、その後、つまり4月以降、オルガン演奏会に追われ(4月コンサートの事後処理と10月コンサート準備)、頭の中がかなりパニックだったと思う。頭の中に余裕がないと、文章って書けないものです。ボーッと言葉が出てくる時間(ヘンな表現?)というのも必要ですしね(言い訳です)。 21世紀になりました。毎年開催している「よせなべコンサート」の21回目が終わって、少々ホッとしている間に、パパパーッと書いちゃおうと思う次第です。「よせなべ」、よくぞ続いたと思った昨年20回目に比べ、今年は、「よしっ、まだまだ続けられそう」と再スタート気分。世間では年明け早々色々あって、新世紀の幕開けという期待感よりも、これからの100年に不安を覚えましたが、「よせなべ」には新世紀と共に次の20回に向けて、ともかく乾杯、取りあえず乾杯、ナニがナンでも乾杯!と言いたい。 中国では丸テーブルを囲んでの食事中、誰かと目が合えば「乾杯!」とやる、と聞いたことがある。乾杯という言葉の中には、ただ飲み干すというだけではなく、「こんにちは」「お久し振り」「楽しくやりましょう」「お元気で何より」・・・・・etc.―そういう気持ちも込められていると思う。我々も、人が集まってテーブルを囲むと「さあ、まずは乾杯」と口に出ますよね。「それじゃ、取りあえず乾杯!」となると同時に、座がやわらかくなり、気分が盛り上がり、楽しい顔になる。 この、乾杯!と言う時の心を持ち歩いて、例えば街角で、電車の中で、出会う人々と分かち合えば、世の中はきっと丸くなるだろう。ニコッと笑うか、あっどうも!と言うだけでも良いのだ。やわらかい心、さわやかな心が伝えられるはずだ。 乾杯というこのうた。結婚式にピッタリのうたなのである。人とのつながり(しがらみ)から生まれた様々な感情、思い、習慣、行動は、年月を経てみると自分の血肉となり、自分を自分たらしめる、正に自分の一部分となっていることを気づかせてくれる。そして私達は、常に目の前に、どんな反応を示すのか見当もつかない、見えない観客を置いて、人生の舞台で自分を演じつづけるのである。 以前、自分の車にバックミラーを付けずに走らせている男がいた。理由を尋ねると、「後ろは振り向かない主義でね」とキザな答。本当の理由は他にあったのだけれど、私は「たまには振り向かないといけないんじゃない?」とその時思った。 明日の先を 体に浴びて 振り返らずに そのまま行けばよい 何が起こっても、信じた道を引き返してはいけないというのである。この辺の意味合いに、この頃ようやく「そうか!」と素直にうなずけるようになった。まあ、単に年を取って悩む気力がなくなった、つまり性格がズボラになったということでしかないかもしれないが。 「音楽をする」という時。自ら演奏する、または聴く時、人は心豊かで、争い事を心の中に持たないと私は信じる。音楽の世界を創る時、人は平和主義者になると願う。心が殺伐としないように、乾杯の心を持ち続けるために、音楽しましょう。昨年末、とあるメディアで20世紀を代表する音楽とか、残る音楽とかを一般から募り、集計し選んだ曲を特集した放送があったが、長淵剛の乾杯。うたい続けたい1曲である。 新しい時代の 中に僕らは 今こうして 歌いつづける こんな歌詞を、私はくっつけてみた。 |
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