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2001年5月28日 ザ・シンフォニーホール「残響2秒」演奏には響く≠ニいう要素が不可欠である。しかし響きすぎると音が混濁してしまう。程よく響いて音の一つ一つが明確に聴こえる、そういう響きを持ったコンサートホールが理想である。近年はどこのホールでも、いわゆる残響時間≠ノ配慮した設計になっているが、それは客の入り、演奏形態などによって変化するので「設計良ければ全て良し」というわけにはいかない。 大阪、朝日放送のザ・シンフォニーホールは、その残響時間に殊の外配慮して造られたと聞く。「残響2秒」という本がある。19年前のホール建設に当たって、建設委員会のメンバーとして携わった故・三上泰生氏による、今は絶版となっている本である。その本のコピーと、施工を担当した大成建設(株)の記録ビデオを見ると、当時関係者が一丸となって理想のホール造りを目指した様子がひしひしと伝わってくる。理想の残響を求め、10分の1の精密なホールの模型を作成し、光によって音の反射方向を探り、ホール内の素材、座った人間の音の吸収度などを調べ、実験していく過程はドラマである。また、日本で初めてホール楽器としてパイプオルガンを設置したいきさつには、スタッフのホール建設事業に対する真摯な熱意が感じられる。 ザ・シンフォニーホールは演奏家にも聴衆にも抜群の評判だとも聞く。その空間はほぼ真四角で1,700席という広さの割にコンパクトな感じがする。そして暖かみと落ち着きに包まれる感触である。約2秒の残響によってオーケストラの音は柔らかく響き合い、しかも一つ一つの楽器がその響きに埋もれることなく、正確な方向性をもって聞こえてくる。 残響2秒というのは、さてパイプオルガンにとってはどうであろうか。ヨーロッパ文化の中で石造りの教会内部の響きとともに発展してきたオルガン音楽には、少々不足の感がありはしないか。そう思いつつ、今年2月にシンフォニーホールで聴いたオルガンコンサートを振り返ってみた。思い出すのは何となく硬質な、あるいはちょっとあっさりした音で、やはり「何か物足りない」という第一印象だったのである。その理由を考えてみたが、ホール関係者の言うとおり、壁の中にはめ込まれているという、このオルガンの設置条件があるのかもしれない。また、私の耳の奥にはあの東京芸術劇場の大オルガンの響きが残っていたはずである。そう考えるとなるほど、私自身もう少しこの響きに対する受け止め方が違っていてもよかったわけだ。 バッハやロマン派以前のオルガン作品を聴くには、残響の多いホールの方が適当であろう。何せ、もともと教会という演奏環境を念頭に作曲されているのだから。しかし、時代は進み、楽器の演奏場所は教会・宮殿という限られたスペースを離れ、音楽専用の広いコンサートホールも含むようになった。そうしたコンサートホールが充実するにつれて楽器にも音量が求められるようになり、音楽も小規模の室内楽曲から交響曲的色彩が強くなった。そうした過程で音楽が教会と宮廷から独り立ちを始めたのだ。オルガンの発達も同じではないか、と考えがそこに及ぶと、今回ザ・シンフォニーホールでのプログラムは正にこのホール向きと言えるかもしれない。管弦楽曲を扱うことにより、このホールの特徴と一体となってパイプオルガンの楽器としての本領が更に発揮されるのではないか。恐らく、管弦楽らしいまとまった音彩の中に、パイプ1本1本から紡ぎ出される音が明らかに歌いかけてくるのだと想う。そして、それはきっと衆知の楽曲でありながらまた違った世界を聴く者に提供してくれるはずである。 ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ベートーベンの「運命」等々、このホールで、しかもオルガンでどのように響くのか、Stenderという卓越したテクニックを持ったオルガニストが、この2秒の残響とどう取り組むのか、楽しみである。 |
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